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和歌山地方裁判所 平成9年(行ウ)9号 判決 2000年11月21日

原告

横田哲雄

右訴訟代理人弁護士

由良登信

阪本康文

被告

和歌山労働基準監督署長

土佐邦雄

右指定代理人

近藤幸康

外九名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告が平成五年八月二日付けで原告に対してした労働者災害補償保険法による療養補償給付及び障害補償給付を支給しないとした決定を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文と同旨

第二  事案の概要

一  事案の要旨

原告は、新聞販売会社に店長として勤めていたところ、就労時間中に右視床出血を発症して倒れたのは業務上の事由によるものであるとして、被告がした療養補償給付及び障害補償給付の不支給決定の取消しを求めた。

これに対して、被告は、原告が右疾病を発症したのは、高血圧症が自然的経過の範囲内で増悪したためであり、業務上の事由によるものではないから、被告のした右不支給決定は適法であるとして争っている。

二  前提事実

以下の事実は、当事者間に争いがないか、証拠(甲一ないし四、八ないし一〇、乙一、六、八、一〇、一七、三二、三三、三五、三六、六四の1)及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実である。

1  原告の就労歴、会社組織等

原告は、昭和六〇年九月から、新聞販売業を営む株式会社宮井新聞舗(以下「訴外会社」という。)に雇用され、以後同社松江支店長として新聞配達等の業務に従事していた。同支店建物は、店舗部分と居住部分とから成っており、原告は、その家族(妻と二人の子)と共にその居住部分で生活していた。

訴外会社では、支店ごとに基本的に独立採算制が採られており、訴外会社から店長報酬が支給されるほか、売上げなどから訴外会社へ支払う経費等を除いた分が店長の収入となった。その反面、配達員の採用も支店ごとに店長の責任をもって行うこととされていたが、訴外会社へ要請すると近隣店舗から応援に来てもらうこともできた。

平成二年八月当時、松江支店には六名の朝刊配達員がいたが、そのうち成松は同月四日から、沢田は同月二〇日からそれぞれ配達アルバイトに加わったものであった。

2  発症状況

原告(昭和一四年八月四日生)は、平成二年八月三一日午後三時一五分ころ、夕刊を自ら配達するためにその準備を整え、松江支店店舗内で、遅れてきた配達員に配達先を指示するため待機していたところ倒れたため、同日午後四時過ぎころ、かかりつけの松尾準三医師の診察を受けた後、午後八時過ぎころ、救急車で和歌山労災病院に搬送され入院した(発症時五一歳)。

3  診断内容と後遺症

原告は、右労災病院において、高血圧性脳出血(右視床出血)と診断され(以下「本件疾病」という。)、治療を受けた。

原告は、平成三年三月三一日、症状固定となったが、左片麻痺等の後遺障害のため、左上肢・手指機能を全廃し、日常生活動作は介助を必要とする状態である。

4  労災申請と同申請却下等

原告は、被告に対して、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき、平成三年二月七日に療養補償給付たる療養の給付請求を、同年四月三〇日に療養補償給付たる療養の費用請求及び障害補償給付請求をそれぞれしたところ、被告は、平成五年八月二日、当該疾病は業務上の疾病とは認められないとの理由により、労災保険給付は支給できないとの決定をした(以下「本件決定」という。)。

そこで、原告は、本件決定を不服として、平成五年九月二九日、和歌山労働者災害補償保険審査官に対し、審査請求をしたが、審査官は、平成六年九月二七日、右審査請求を棄却した。さらに、原告は、平成六年一一月一五日、労働保険審査会へ再審査請求をしたが、同審査会は、平成九年九月一七日、右再審査請求を棄却する旨の裁決をし、右裁決書謄本は同年一〇月六日ころ原告に送達された。

三  争点及びこれに関する当事者の主張

原告の本件疾病は業務上の事由によるものか。

(原告の主張)

原告の本件疾病は、高血圧症という基礎疾病が以下のとおり過重な業務によって増悪され、業務中に発症するに至ったものであって、業務に起因するものであるから、業務上の事由によるものである。

1 業務の過重性

(一) 発症当日の業務

原告は、配達賃支給明細書(乙二一)記載の「榎本」分一八〇部のほか、沢田がアルバイトに入った平成二年八月二〇日まで、同明細書記載の「沢田」分の一〇六部、さらには早配り分四〇部、請求書(領収書)発行分と松江店の朝刊配達分との差である四三部及び無料で入れるサービス分八九部のうちの相当数を配っていたから、合計して三七〇ないし四〇〇部程度の朝刊を配達していたことになる。このように、原告の朝刊配達部数は多数に及ぶ上、早配り分を広い地域にわたって配り、その後に一般家庭の地区を配った後、住友金属の広い構内の各部署に配るため、原告の配達区分は極めて広範に及んでいたのであって、原告が朝刊を配達するには午前三時四〇分ころから午前八時三〇分ころまでの約五時間を要した。

また、発症当日は月末であったため、原告は、正午過ぎから午後一時三〇分ころまで、中松江地区に新聞代金の集金に行っていた。その他、原告は、朝刊の配達前にはチラシの挟み込み作業や配達員への指示等を行っていたし、朝刊の配達後には訴外会社本店との連絡や伝票整理等に追われていた。

このように、原告は、発症当日、三時間余りの睡眠しかとれずに午前二時四〇分に起床して開店準備を行ってから、夕刊の配達準備をし、午後三時一五分ころに倒れるまで休む間もなく働き続けた。

(二) 発症一週間前の業務

のみならず、発症一週間前の業務をみても、原告は、平成二年八月二四日から新聞代金の集金業務を始め、本来の休憩時間である正午から午後一時三〇分までの間に集金業務を行っていたし(なお、松江支店の業務のうち、原告が現に集金業務を行っている以上、集金業務も原告の業務として評価すべきである。)、平成二年八月二八日から発症当日まで連日、拡張員の三宅と共に、夕刊配達後の午後六時ころから午後九時ころまでの間、新聞販売の拡張のため訪問活動に従事した。

(三) 主任及び配達員の欠員

その他、原告が勤務する松江支店では、主任が置かれておらず、また配達員が不足していたことも業務の過重性を基礎付ける事情として指摘することができる。すなわち、主任及び配達員が欠員していたことにより、松江支店における業務のうちその分だけ原告の負担が増えることになるし、また、種々の手配を行いながらも配達員を確保できないという悩みが精神的な疲労として原告に蓄積していったのである。

(四) まとめ

このように、原告は、極めて過重な業務に従事していた最中に発症したものである。

2 原告の体調等

原告は、松江支店長に就任した二年目である昭和六二年六月、高血圧症、高脂血症、腎障害症、肝炎で治療を受けたころには最高血圧が二三八(単位はmm/Hg。以下同じ)、最低血圧が一五〇とかなりの高血圧であったが、安定時は最高血圧一四〇、最低血圧八〇の状態であった。また、昭和六三年六月の脳動脈硬化症の症状が生じたときの最高血圧は一九〇、最低血圧は一四〇であったが、安定時には最高血圧一四〇、最低血圧八〇までに落ち着いた。そして、平成元年八月に再治療を受けた際の血圧は、最高一八〇、最低一二〇であり、同年ころから徐々に低下傾向を見せてきていた。

さらに、原告は発症時五一歳と若く、血管に弾力性があるため、この程度の血圧であれば自然経過で脳出血を発症することは通常あり得ず、血縁者をみても高血圧性脳出血を患った者はおらず、遺伝的素因も見られない。

3 結論

以上によれば、原告が本件疾病を発症したのは、過重な業務による慢性ストレスが基礎疾患の高血圧を増悪させ、発症日の朝から高血圧性脳症(頭痛)を起こしたが、それでも働き続けざるを得なかったため本件疾病の発症に至ったものであって、本件疾病が業務に起因することは明らかである。

(被告の主張)

1 本件疾病は、高血圧症が自然的経過の範囲内で増悪したために発症したのであり、業務に起因しないから、業務上の事由によるものではない。

すなわち、本件疾病が業務に起因し、したがって業務上の事由によるものであるといえるためには、原告が「業務による明らかな過重負荷」を受けていたことが必要であり、より具体的には、業務に関する異常な出来事に遭遇したか、特に過重な業務に就労した場合でなければならないと解されるところ、原告が本件疾病の発症の近接した時期において業務に関連する異常な出来事に遭遇した事実は認められないし、原告が特に過重な業務に就労したことを基礎付ける事情として主張する点も、以下のとおり失当である。

2(一) 原告の配達部数

原告は、サービス分や早配り分の配達も行っていたと主張するが、そうであれば、それらについても原告の担当部数として計上されてしかるべきであるのにそのようには計上されていないことなどからすると、サービス分や早配り分の配達を原告が一手に行っていたとはいえない。また、成松が平成二年八月五日ころから、沢田が同月二〇日ころからアルバイトに加わり配達をするようになったから、結局、原告は、平成二年八月三一日ころには、恒常的な担当部数としては一八〇部程度を配達し、これに加えてアルバイトが欠勤等した日にはその担当分をも配達することがあり、そのような場合には合計して三〇〇部程度を配達していたというのが実態であった。

(二) 集金業務

訴外会社における集金業務は、第一次的には訴外会社において採用した集金人が行うこととなっており、店長は第二次的に行うにすぎないとされていた。そして、原告の妻横田サダ子(以下「サダ子」という。)も集金人として採用され、松江支店の分を担当していた。ところが、松江支店においては、サダ子は集金業務を行うことなく、原告が行っていたものであるから、この集金業務は、本来原告が行うべき業務ではなく、原告の業務とはいえない。

(三) 拡張業務

拡張業務のうち、拡張員と共に行うものについては、店長は拡張員を案内するだけであり、自らが行うわけではない。このような拡張員の案内は店長としての通常業務の範囲内であり、原告の業務を特に過重ならしめたということはできない。

(四) 主任、配達員の欠員

訴外会社には二九の支店があるが、支店には必ず主任が配置されていたわけではなく、主任が置かれていなかったことが原告の業務を特に過重ならしめたということはできない。

また、訴外会社においては、配達業務も店長の業務とされていることや、現に二七名の店長のうち二四名が実際に配達業務に従事していたことからすると、原告自らが配達業務に従事することは何ら異常な事態ということはできないし、松江支店においては配達に従事する者が原告を含めて六名いたところ、松江支店の配達部数からすると、同支店の配達従事者は一応確保されていたといえる。

(五) 長時間労働

原告は早朝から夜間まで長時間にわたって業務に拘束されていたから当該業務は過重であるかのように主張するが、仮に原告の拘束時間が所定労働時間である八時間三〇分を相当程度超えるものであったとしても、その中には待機、配達員への指示、本店との連絡等の時間を含まれているのであり、身体的負荷又は高度の精神的負荷を伴う時間は右拘束時間を相当程度下回っていたものと考えられる。したがって、原告が店長としての業務のために所定労働時間を上回る時間について拘束されていたとしても、本件発症前において特に過重な業務に就労していたとは必ずしもいえない。

3 原告が本件疾病の発症前に業務によって受けていたとされる負荷は、右のとおり、基礎疾患である高血圧症を日常生活の中で徐々に悪化させる程度の負荷と比較して程度の著しいものであったということは到底できないし、反面、原告の高血圧症はそれ自体が本件疾病の有力な原因となると考えられる上、血圧降圧剤を服用していた者がその服用を中止した場合には、反動により血圧が上昇するため、本件疾病を発症する危険性が高まるところ、原告は血圧降圧剤の服用を指示されていながら、その服用を励行していなかったことがうかがわれるのであって、そのことが本件疾病を発症した大きな原因となったというべきである。

4 したがって、本件疾病は、高血圧症が自然的経過の範囲内で増悪したために発症したものであって、業務に起因するものではないから、業務上の事由によるものということはできない。

第三  争点に対する判断

一  証拠(甲五、六、乙一一、一二、二一、三九、六三の1ないし4、六四の1、2、六五、証人サダ子)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  原告の疾病等

原告は、昭和六二年六月には最高血圧が二三八、最低血圧が一五〇であり、高血圧症、高脂血症、腎障害症、肝炎と診断された。その後、同年八月二九日から同年一二月まで最高血圧が一四〇ないし一六八、最低血圧が九〇ないし一〇〇と概ね安定していたものの、同年一二月二二日には最高血圧が一六八、最低血圧が一一〇と再び上昇し、昭和六三年八月には脳動脈硬化症の症状が生じた。以後、治療を中断した平成元年六月までは最高血圧が一四〇ないし一八〇、最低血圧が八〇ないし一二〇程度であり、平成元年八月に再治療を受けた際には、最高血圧が一八〇、最低血圧が一二〇であった。また、平成二年における薬剤の投与状況は、二月二一日に一〇日分、四月一八日に一〇日分、五月二九日に一四日分の投与がなされたというものであった。

2  発症前の日常業務

発症日以前の日常業務は、概ね以下のとおりであったが、このほかに集金業務・拡張業務等が加わることもあった。

午前二時四〇分ころ 起床、開店準備

午前三時ころ 朝刊到着。区分け、チラシの挟み込み作業等

午前三時三〇分ころ 朝刊の配達

午前八時三〇分ころ 入浴・朝食の後、仮眠

午前一一時三〇分ころ 拡張カード整理、チラシの折り込み作業等

午後三時ころ 夕刊到着。区分け作業等

午後三時三〇分ころ 夕刊の配達

午後六時ころ 配達終了。カード整理等(午後一〇時ころまで)

3  発症日の業務内容

原告は、発症前日の午後一一時過ぎに就寝し、発症日である平成二年八月三一日の午前二時四〇分ころ起床して、配達用バイク等を表に出し、新聞区分け台を準備した。原告は、朝刊が午前三時ころ松江支店に到着すると、直ちに区分けに取りかかり、チラシの挟み込み作業を行ってから、午前三時四〇分ころ、朝刊の配達に出かけ、午前八時三〇分ころ配達を終えて松江支店に戻った。それから、入浴・朝食を済ませ、午前一〇時ころから伝票の整理や夕刊用新規講読者の地図作成を行い、午前一一時三〇分ころには本部からの電話連絡に応対し、正午ころから午後一時三〇分ころにかけて中松江地区へ新聞代金の集金に回った後、午後三時ころに夕刊が松江支店に到着するまでチラシの折り込み作業を行った。夕刊が到着すると、区分け作業、配達員への説明、自分が配達する新聞の準備等を行い、遅刻した配達員に指示を与えるため店内で待機していたときに本件疾病を発症した。

4  医師の意見

(一) 原告を診察していた松尾準三医師が作成した意見書及び症状所見書(乙六四の1、2)には、原告の本件疾病について、以下のような記載がある。

(1) 昭和六二年度から全期間を通じ自覚症状は肩が凝るとかいうのみで大した訴えもなく、指導として塩分の制限(一日一〇グラム以内)等、食事・生活上の指導をしていたが、仕事拡大のため夜は遅くまで働き、睡眠不足が重なり、そのため来院も遠のくようなことで疲労が重なったものと推定される。

(2) 昭和六三年に脳動脈硬化症が発症しているが、それは、高血圧症と睡眠不足及び昭和六二年の検査結果で中性脂肪及びβーリポ蛋白が異常な高値を示し高脂血症に陥っていることから動脈硬化が進んだためであり、いつ脳内出血が起こっても不思議ではなかったと思われる。

(二) 松本昌泰医師が作成した意見書(乙六五)には、以下のような記載がある。

(1) 原告の高血圧症については、昭和六二年六月九日実施の健康診断で高度の高血圧(二〇四/一二〇)を指摘され、要加療と診断されており、昭和六二年六月一〇日より松尾医院を受診し、高血圧の加療を受けているが、その診療録をみると昭和六三年四月や一二月から平成元年二月にかけて一時的に一四〇/八〇程度になった以外は殆どの血圧値が一六〇/一〇〇以上と高値を示し、特に脳出血発症(平成二年八月三一日)前の最後の受診日である平成二年五月二九日までの血圧値はいずれも拡張期血圧が常に一〇〇を越えるコントロール不良の高血圧状態が継続しており、しかもこの間降圧薬の投薬を受けたのはわずか二回のみであり、受診もきわめて不定期である。また、昭和六二年六月の松尾医院受診開始時になされた検尿及び昭和六三年二月の二回の血液検査によれば、蛋白尿や血清クレアチニン値の高値(1.4mg/dl)が見られることからも、高血圧の重症度は少なくともWHOの病期分類(一九九三)でⅡ期以上の状態であったものと思われる。事実、脳出血で入院した当時の心電図でも左室肥大所見が認められている。なお、通院加療を中断後、脳出血発症に至るまでの期間には妻の証言にも見られる如く、高血圧性脳症や軽症脳梗塞を疑わせるような症状(時々少しびっこを引いているときもあったなど)も観察されており、脳出血切迫状態にあったことが伺われる。

また、日々の飲酒量について正確な量は不明であるが、松尾医院受診時の血液検査結果ではγ―GTP値が一三五(昭和六二年六月一一日)、一〇三(昭和六三年二月二二日)と高値を呈しており、妻の陳述内容(ビール、一日二缶、ワンカップ酒、朝一本)とも合わせると、脳出血発症に至るまで長期に亘り毎日二合またはそれ以上(日本酒換算にして)の飲酒習慣を継続していたものと判断される。

以上、高血圧のコントロール状態はきわめて不十分であり、少なくともWHO病期分類のⅡ期以上の状態が継続し、治療中断後はさらなる臓器障害の進行により高血圧性脳出血の切迫状態とも言える極めて危険な状態にあったものと判断される。また、多量の飲酒習慣の継続も高血圧による脳出血発症の危険性を一層増強する要因になったものと判断される。

(2) また、原告の業務内容は特に脳出血発症の準備状態を形成するものとは考えられず、発症直前の行動に関しても、特に脳出血発症の引き金となるような強度の身体的あるいは精神的負荷を引き起こす事態や急激な作業環境の変化に相当する事態は認められない。

(3) 脳出血の主たる原因をなす高血圧症について、原告の日常業務がその進行に悪影響を及ぼすことはあり得ないことではないが、業務外の過ごし方や薬物療法などにより本来かなりのレベルまでコントロール可能である。しかしながら、原告の高血圧症のコントロール状態は必ずしも良好であったとは言い難く、しかも高血圧による脳出血発症の危険性を増悪させることが明らかとされている多量の飲酒習慣などの日常の生活習慣の改善に努めた様子も伺えないことからも、仮に日常業務や発症直前の行動がなくとも前記の危険因子の状態((1)の項目)から判断して高血圧性脳出血を自然発症する可能性は高いものと判断する。

(4) 右に述べたとおり、原告の日常の業務内容や発症直前の行動が脳出血の発症の関係した可能性は完全には否定できないものの、本例の元来有していた脳出血発症の準備状態を形成する危険因子の状態は、何時脳出血を発症してもおかしくない状態にあったものと考えられ、脳出血発症の自然経過を著しく早めたという医学的証拠は見あたらないものと判断される。

(三) 三谷晃医師が作成した意見書(甲五)には、以下のような記載がある。

(1) 原告は、基礎疾患として高血圧症、高脂血症を有していたが、発症前の検査結果からうかがわれる重症度であれば、自然経過で五一歳という若齢で脳出血を発症するとは考え難い。

(2) 発症の年である平成二年には降圧剤投与と生活指導を受けていたことから、原告は、高血圧治療の意思があり、ことさら治療をさぼっていたというわけではないと考えられる。

(3) 加えて、母親の死亡年齢・死因をみても、新聞店での業務が過重でなく、高血圧の治療(定期通院)をする余裕があったなら五一歳という若齢で、高血圧性脳出血を発症することはなかったであろうと考えられる。

(4) 本件発生より約二年前から新聞配達のアルバイトが集まりにくくなり、原告の疲労が蓄積される一因になったものと考えられる。

(5) 原告の妻の申告からは、平成二年七月ころから既に一過性の血圧上昇が頻回に起こっていたものと考える。この時点で店員を増員するなどして、原告の業務を軽減しておれば、本件の脳出血を予防できたものと考える。

(6) 一般に急性ストレスで血圧は一過性に上昇するので慢性ストレスでは高血圧が発症し維持されるといわれ、本件では原告の過重な業務がストレスであったと考えられる。

(7) 原告が、当日、「朝から頭が割れるように痛い。」と言っていたというが、この時既に血圧の急激な上昇により高血圧性脳症を起こしており、そのままその日の業務を達成しようとしたため、当日の午後、脳内の小動脈の高血圧性変化に影響を与え、脳出血の発症に至ったものと考える。

(8) したがって、本件は、発症前に業務により明らかな過重負荷を受けたことにより脳出血を発症するに至ったと考えられ、「業務に起因することの明らかな疾病」として取り扱われるべきである。

二 労災保険法に基づく療養補償給付及び障害補償給付がなされるためには、労働者が業務上傷病を患うことが必要であり、それは、その傷病が業務に起因すると認められること(業務起因性)、すなわち、傷病と業務との間に相当因果関係が存在することである。そして、高血圧症等の基礎疾病を有していた原告が、業務遂行中に高血圧性脳出血(本件疾病)を発症した本件において、業務起因性が認められるためには、原告の当該業務が脳出血を発症した有力な原因と認められる程度に過重なものであったと判断されることを要するというべきである。

そして、原告は、その業務が過重であったと主張するので、まず、原告の業務の過重性について判断する。

1  原告は、業務の過重性を基礎付ける事情として、新聞の配達部数、集金業務、拡張業務、主任及び配達員の欠員を挙げるが、このうち配達部数については以下のとおり疑問がある。すなわち、原告は、平成二年八月時点での松江支店における新聞配達部数(朝刊八八四部、夕刊七八二部)のうち、早配り分を四〇部のほか、中松江は一地区(八区)六一部、中松江二地区(四区)一一七部、土入地区四部、延時団地一九部の一般家庭のほか、住友金属構内五五部(以上合計三二九部ないし三三九部)を配達しており、その配達に午前三時四〇分ころから午前八時三〇分ころまで約五時間を要していたと主張する。しかしながら、原告の右主張は、平成二年八月の配達賃支給明細書(乙二一)の記載と合致しておらず(なお、サダ子は、同明細書記載の「榎本」が原告を指すことを前提に、「原告の新聞配達部数について、配達賃支給明細書《榎本一八〇部》と合致しないのは、配達賃支給明細書は、訴外会社へ一か月分の報告をしたものであり、実際は早配り分と住金構内の他に、中松江一地区《六一》、土入地区《四》、中松江二地区《一一七》、延時団地《一九》と新しく入った不慣れな沢田か成松の案内、指導を加算したと思います。」旨供述しているが、それはサダ子の推測に過ぎず、自己の配達分の一部を「榎本」分とし、その余を他の者の分としたというような報告をしたことにつき合理的な理由は見当たらないから、サダ子の右供述は採用できない。)、また、配達に要する時間についても、「配達は、バイクで行い、三時間三〇分ほどかかりました。」という原告からの聴取内容(乙一一)に照らし、疑問が残るといわざるを得ない。

2  さらには、原告が主張するその余の事情についても、(一)拡張業務は、拡張員の案内に一月あたり五ないし一〇日程度、原告自身が拡張に出るのが一月あたり三ないし四日程度、近隣店の応援拡張に出るのが一月あたり四日程度であり(乙一三、四四)、日常的に行われていた業務とまではいえないこと(なお、乙四三によれば、平成二年八月には、原告の案内に従った拡張業務が六日間行われたと認められる。)、(二)集金業務は毎月下旬に行われ、そのうち原告自身が相当程度を行っていたものであって、一月の範囲内という視点からみると、毎月下旬はその分の業務内容が加わっていたということはできるが、月単位でみた場合には、発症した平成二年八月が他の月と比較してその集金業務が過重であったことをうかがわせるような事情は認められないこと、(三)平成二年八月当時、訴外会社の二九ある支店のうち、主任が置かれている支店は二〇にも満たないのであり(乙六)、松江支店だけ特別に主任を置いていなかったというわけではなかったこと、(四)前記前提事実のとおり、訴外会社では支店ごとに独立採算性を採用しており、店長であった原告は、日常の業務について個々に指示を受けるという立場になく、広範な裁量のもとに自律的に稼働していたこと、(五)紀ノ川支店の宮本哲男店長からの「仕事は忙しいが、慣れれば辛いものではない。あまり苦にはならない。新聞の配達は熟練者であれば七〇〇部を配ることも可能である。アルバイトであっても、二〇〇ないし三〇〇部を配達し、多い者であれば四〇〇部を配達する者もいる。また、チラシの折り込みも一ないし二時間で終了する。」、「主任がいても、特に仕事が軽減されることはない。」旨の聴取内容(乙一六)がある。

3 以上によれば、原告の前記業務の性質上、稼働時間が早朝から夜間に及び、睡眠時間が分割されざるを得ないことなどを考慮しても、原告の行っていた業務が格別過重であり、脳出血を発症するに至った原因として相当有力なものであるとまで認めることは困難である(なお、三谷晃医師は、前記のとおり、本件について、発症前に業務により明らかな過重負荷を受けたことにより脳出血を発症するに至ったと考えられ、「業務に起因することの明らかな疾病」として取り扱われるべきである旨原告の主張に沿う結論の意見書を作成している。しかしながら、同医師は、「医者に行くのをさぼらざるを得ないくらい非常に業務が過重であったとか、人も来ないし自分が代わりに配達に行かなければならないから、そのために憂さ晴らしに酒でも飲まなければ仕方ないというようにかなり精神的に追いつめられた状態があったというふうに考えます。」との証言をしており、右証言を併せ考えると、同医師は、原告の業務が原告の生活習慣に及ぼした影響《これは右過重負荷を判断するための要素とすべきでないものである。》を考慮することにより、右の結論を導いたものと考えられるから、右意見書及び証言を直ちには採用することができない。他に、原告の右主張を認めるに足りる的確な証拠はない。)。

かえって、前記認定事実によれば、原告は、昭和六二年以後、血圧が安定していた時期もあったものの、むしろ高い数値を示していた時の方が多かったことが認められ、平成二年における薬剤の投与状況をみても、高血圧症への対処が充分であったとはいえないから、高血圧症により通院を開始した後の昭和六三年に脳動脈硬化症に罹患したことをも併せると、本件疾病の危険因子は悪化の方向をたどっていったものと推認され、これに加えて、前記認定のとおり、松尾、松本両医師が、基礎疾患と脳出血との関連について、いつ脳内出血が起こっても不思議ではないと思われるとの判断を示していることをも併せ考慮すれば、原告の高血圧症等の基礎疾患が本件疾病(高血圧性脳出血)の発症の有力な原因であると推認される。

三  以上によれば、原告の本件疾病に業務起因性を認めることはできない。よって、原告主張の補償給付につき不支給と決定した本件決定は適法であって、原告の請求は理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官礒尾正 裁判官間史恵 裁判官田中幸大)

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